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いやここだけの話なんですけどね、7月8月くらいにはこの20周年で久しぶりに更新しよっかな~と意識を始めてて、「何かネタになりそうなものを引っ張り出せないかな」と軽い気持ちでね、数年ぶりにエゴサってみたんですよ。「かまくら」だと地名の鎌倉と被りすぎて検索にならないので、ドメインネームである「Snow-man」で。そしたらびっくり、僕の与り知らんうちに「Snow Man」なるジャニガキアイドルグループがちょうど2019/8/8なんて僕の20周年とドン被りの絶妙な時期に華々しくデビューなされていらっしゃって、私のホメパゲなんて検索結果に擦りさえしてないじゃないですか。Snow Manはボクが18年も使ってきた大事なドメインなのに~!! まさかこの歳になってまだなおイケメンに搾取される不条理を味わわされることになるなんて!! ゆ……ゆるさん……ぜったいにゆるさんぞこのジャニガキどもめ!! 公式HPを用意していなかったのが運の尽きだったようだな…まずはGoogleで検索してやってくる何も知らない女子中高生をこっちのページに引っ張り込んであることないこと吹き込んで…と思ったけどよく考えたらGoogleでSnow Manなんてアルファベットを叩いて検索できるような電子に強い女子は守備範囲外なのでどうでもいいっちゃどうでもよくなりました。僕の理想はもう中学生なのに親にキッズケータイを首から提げさせられててメールの受信音が鳴るたびいつも必ず「どこ? ケータイどこ!?」ってキョロキョロしちゃうようなそんな女子です(具体的) ということで昔話の最初は「ハンドルネーム」の話です。
 前にも何回か話したかもしれないけど、このサイトを始めるにあたって僕は「雪男」と「危脳丸」、二つのハンドルネームのどちらを使うかかなり悩んでいました。危脳丸というのは当時大好きだった「こいつら100%伝説」というギャグ漫画に出てくるキャラの名前そのまんまなんですけど、字面がものすごいインパクトじゃないですか。1999年9月当時「ろじっくぱらだいす」など既にいくつかの新世代サイトが名を上げ始めていたのを横目に見ていた僕は、とにかく名を売るために何か人々の印象に残れるインパクトがほしかった。危脳丸にはそのポテンシャルがある、と信じて疑っていなかったのです。実際公開直前、8月中旬くらいまでは日記の一人称がアブさんでした。アブさん今日も女子にキモがられ大~失~敗~!! 的な。そんな地獄のようなテンションの日記をいくらかテストで書いてみて、あれなんか違うなと。これ勢いだけであんまり面白くねえぞと。幸いなことに気がつくことができたんですね。それで土壇場で当時はあまり乗り気でなかった「雪男」にハンドルを変えて、やってる芸風は危脳丸とほとんど変わらないにせよギリギリのところで風格を保つことができ、幸運なことに半年くらいで大手サイトと扱ってもらえるくらいのサイトに成長することができたわけなのです。というかあのとき危脳丸を選択していたらいまこうして20周年がどうこうとか、絶対そんな話してないことだけは間違いない。全部お笑いテキストだけ書くならそれでも良かったかもしれないけど、真面目なテキストはとてもじゃないけど書けなかった。だって物語の中で女の子が頬を赤らめ「私……アブさんのことが……好き」とか言ってるテキスト真面目に読めるか!? シュールギャグとしてならアリかもしれないがその代わりシュールギャグ以外何も残らない凄惨なサイトになっていたはず。オフで会った女の子だって「雪男さん」と「危脳丸さん」じゃセックスの予感が違いすぎるだろ。危脳丸さんなんか常識を超えたプレイをしてきそうな匂いがしすぎて警戒するだろ絶対。40歳を回った今は特に、時々会うネットの仲間たちに「ユキオさん」と呼んでもらうたびにあー無難な方を選んでてほんとに良かったと胸をなで下ろすばかりだ。小さな決断が後に大きく運命を変える、その典型例と言えなくもない話であると思う。
 しかしこんな話を未だに持ち出している時点で僕が「危脳丸」という名前に未練を残していることは賢明な読者諸姉ならばおわかりであるだろう。危脳丸として20年生きてみたらどんな人生が待っていたのかな、と想像を巡らせずにはいられないのだ。案外女子にはアブさんアブさんと慕ってもらえた未来が……待ってねえだろうな。やはり雪男としてSnow Manの10人目の新メンバーを騙ってワンチャン狙う方が得策か(Googleの誘導ページを組み始めながら)