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 字幕作るのが面倒で10年放置していたボーカロイド曲を今頃! 公開しました!! ニコニコ動画を見限ってYoutubeに公開しようか迷ったのですが、別にたくさんの人に聴いてもらいたいというよりは20年の節目として記念公開するのが目的なのであれば、ニコニコの方がふさわしいのかなと。あるいはもう今の若い世代はニコニコ動画見たことない人さえいるのかもしれませんね…まあニコニコで見るのがめんどくさければmp3リンク張っとくんでここから直で聴いてください。ちなみに今まで作ってきた曲はここに全部載せてますのでお暇がございましたら他のも聴いてってくださると嬉しいです。
 せっかく音楽のことが話題に出たのでもう少し掘り下げたいと思うのですが、今日のところは力尽きたのでまた明日以降に。

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 テキストサイトの殿堂リンク

20年でごちゃごちゃと貯め込んで本人さえも収拾がつかなくなっていたかまくらフォルダから、見つけたものを出して話題にしてみる試み。このリンクは…僕の記憶が確かなら、2002年か2003年にブログが隆盛してきた頃、どっかのアホ共が「未開の日本に俺らがブログ文化を教えたるんや! レッツビギンや! ポジティブや!! 」とかなんとか抜かしていたのに対してムッときた僕が「明日朝7時にここにもう一度来てください。本物のWeb文化とはどんなものか教えてあげますよ」と山岡士郎よろしく自分がブックマークしていたコンテンツの中から選りすぐったものだけをリンク集として公開したものだったと思います。当時それなりには話題にしてもらったので僕より詳しく覚えている人も結構いるんじゃないかな。まあ経緯はどうでもいいのです、問題は中身です。クリックしてみるとすぐわかりますが、もう笑っちゃうくらい端から端まで綺麗に消えまくっています。中にはただ移転して場所が変わっただけのサイトもいくつかあるのですが(かく言うこのサイトもインターQ→ぷらら→今のsnow-man.ccドメインと2回引っ越しています)、あえて直すような真似はせずガチで当時のまんま再掲しました。いや僕もこれほどまで、当時大手だったサイトばかりを集めてさえ9割以上がリンク切れなんてことになっているとはさすがに思ってなかったです。まあ言うても半分くらいのサイトはリンクだけなら生きてるやろ、更新が止まったとしても彼らが確かに生きて残してきた証はいつまでも残っていてくれるやろ…そんな風に考えていました。でも現実はそうではなかった。たぶん僕を含む、当時テキストサイトに青春を無駄遣いしてきたゼロ年世代の多くの人はこの「そもそもの大前提の部分」を勘違いして、この電脳世界の将来を都合良く夢想していたのだと思うのです。つまり我々は「Webは一度アップロードさえすれば、紙と違ってデータが半永久的に残り続けるのだ」という幻想を共有しながらテキストサイトをやっていた。でも現実のWebはそんな場所では全然なかった、レンタルサーバ会社の経営が苦しくなればそこに書かれていた日記など容赦なく全部吹っ飛ばして撤退されるし、引っ越しなどでプロバイダを解約すれば借りていたサーバに載せていたデータは全部消去されて何もなかったことになってしまう。永遠なんてとんでもない、たった数年の時間の猶予さえくれない狭くて窮屈な場所。僕らが当時無限の可能性に胸をときめかせたWebという世界は20年かけて眺め続けてみたら、実はそんな大したもんじゃなかった! その事実を受け入れるのは結構つらいのです20代のほとんどを既にネットに費やしきってしまった身としては。まあ受け入れてしまったからこうして更新が途絶えてしまったわけなのですが。
 しかし別にネットに絶望しネットを見なくなったとかそんなことは全然なく、ツイッターでバズったクソリプを拾ったり、ヨッピーやオモコロの人たち辺りの書く古き良きテキストサイト的なハチャメチャ企画記事に腹を抱えて笑ったりとフツーに変わりなく楽しんでいるわけで。テキストサイトは滅んだかもしれないし実際にもう遺跡さえほとんど残っていない、文字通りに無に返ったもう歴史に埋もれた文化である、それはもう仕方ない。嘆いて何かが変わるわけでもなし。でも当時面白かった連中は今も媒体を変えて面白いことを時代にうまく合わせてやってるし、僕だって趣味のサイトに流れたりとやりたいことをやりたいようにやっている。かつてテキストサイトをやっていた人たちがツイッターの「友達の友達だからこの際フォローしあってみては?」みたいな欄にたくさん上がってくることも嬉しく思ってはいます。「当時仲が悪かったからフォローはしません」とこっそり呟いたりもしてるけど。まあ結局のところ何が言いたかったのかというと、「テキストサイト文化は遺跡も残さずに砂塵となって消滅した! それはもう終わったことでゴチャゴチャ言ってもしょうがない! Webという世界は期待していたような楽園でも何でもなかったけど、ここはこういう場所として昔も今も皆好きなように楽しく使えば別にそれだけでいいんじゃない?」という、なんか綺麗にまとめただけであんまり面白くない結論になってしまいました。オチというにはあんまりにあんまりな最後の話になりますが、この20年で変化したネット用語で最も積極的に取り入れよく口にしている言葉はオフパコです。

9/2

いやここだけの話なんですけどね、7月8月くらいにはこの20周年で久しぶりに更新しよっかな~と意識を始めてて、「何かネタになりそうなものを引っ張り出せないかな」と軽い気持ちでね、数年ぶりにエゴサってみたんですよ。「かまくら」だと地名の鎌倉と被りすぎて検索にならないので、ドメインネームである「Snow-man」で。そしたらびっくり、僕の与り知らんうちに「Snow Man」なるジャニガキアイドルグループがちょうど2019/8/8なんて僕の20周年とドン被りの絶妙な時期に華々しくデビューなされていらっしゃって、私のホメパゲなんて検索結果に擦りさえしてないじゃないですか。Snow Manはボクが18年も使ってきた大事なドメインなのに~!! まさかこの歳になってまだなおイケメンに搾取される不条理を味わわされることになるなんて!! ゆ……ゆるさん……ぜったいにゆるさんぞこのジャニガキどもめ!! 公式HPを用意していなかったのが運の尽きだったようだな…まずはGoogleで検索してやってくる何も知らない女子中高生をこっちのページに引っ張り込んであることないこと吹き込んで…と思ったけどよく考えたらGoogleでSnow Manなんてアルファベットを叩いて検索できるような電子に強い女子は守備範囲外なのでどうでもいいっちゃどうでもよくなりました。僕の理想はもう中学生なのに親にキッズケータイを首から提げさせられててメールの受信音が鳴るたびいつも必ず「どこ? ケータイどこ!?」ってキョロキョロしちゃうようなそんな女子です(具体的) ということで昔話の最初は「ハンドルネーム」の話です。
 前にも何回か話したかもしれないけど、このサイトを始めるにあたって僕は「雪男」と「危脳丸」、二つのハンドルネームのどちらを使うかかなり悩んでいました。危脳丸というのは当時大好きだった「こいつら100%伝説」というギャグ漫画に出てくるキャラの名前そのまんまなんですけど、字面がものすごいインパクトじゃないですか。1999年9月当時「ろじっくぱらだいす」など既にいくつかの新世代サイトが名を上げ始めていたのを横目に見ていた僕は、とにかく名を売るために何か人々の印象に残れるインパクトがほしかった。危脳丸にはそのポテンシャルがある、と信じて疑っていなかったのです。実際公開直前、8月中旬くらいまでは日記の一人称がアブさんでした。アブさん今日も女子にキモがられ大~失~敗~!! 的な。そんな地獄のようなテンションの日記をいくらかテストで書いてみて、あれなんか違うなと。これ勢いだけであんまり面白くねえぞと。幸いなことに気がつくことができたんですね。それで土壇場で当時はあまり乗り気でなかった「雪男」にハンドルを変えて、やってる芸風は危脳丸とほとんど変わらないにせよギリギリのところで風格を保つことができ、幸運なことに半年くらいで大手サイトと扱ってもらえるくらいのサイトに成長することができたわけなのです。というかあのとき危脳丸を選択していたらいまこうして20周年がどうこうとか、絶対そんな話してないことだけは間違いない。全部お笑いテキストだけ書くならそれでも良かったかもしれないけど、真面目なテキストはとてもじゃないけど書けなかった。だって物語の中で女の子が頬を赤らめ「私……アブさんのことが……好き」とか言ってるテキスト真面目に読めるか!? シュールギャグとしてならアリかもしれないがその代わりシュールギャグ以外何も残らない凄惨なサイトになっていたはず。オフで会った女の子だって「雪男さん」と「危脳丸さん」じゃセックスの予感が違いすぎるだろ。危脳丸さんなんか常識を超えたプレイをしてきそうな匂いがしすぎて警戒するだろ絶対。40歳を回った今は特に、時々会うネットの仲間たちに「ユキオさん」と呼んでもらうたびにあー無難な方を選んでてほんとに良かったと胸をなで下ろすばかりだ。小さな決断が後に大きく運命を変える、その典型例と言えなくもない話であると思う。
 しかしこんな話を未だに持ち出している時点で僕が「危脳丸」という名前に未練を残していることは賢明な読者諸姉ならばおわかりであるだろう。危脳丸として20年生きてみたらどんな人生が待っていたのかな、と想像を巡らせずにはいられないのだ。案外女子にはアブさんアブさんと慕ってもらえた未来が……待ってねえだろうな。やはり雪男としてSnow Manの10人目の新メンバーを騙ってワンチャン狙う方が得策か(Googleの誘導ページを組み始めながら)